2021年3月には経済産業省による健康経営優良法人2021の認定発表が行われました。5回目の認定となる今回は、「大規模法人部門」に1801法人(うち上位500法人は「ホワイト500」)、「中小規模法人部門」に7934法人(うち上位500法人は「ブライト500」)、総計では約1万法人ほどが健康経営優良法人として認定されました。また健康経営銘柄としては48社が選定されました。コロナ禍で認定数は減るかと予想されましたが、前回から大規模法人で約 1.2 倍、中小規模法人部門では約 1.65 倍の認定数となり、関心の高さを伺うことができます。参照:https://www.meti.go.jp/press/2020/03/20210304004/20210304004.html健康経営は、もはや「努力目標」ではなく、働き方改革とあわせて企業経営層(経営、トップ)にとって重要な経営戦略の一つとなりつつあります。では政府も経営トップも期待する健康経営に取り組むことの効果やメリットはなんなのでしょうか?また、どのような課題があるのでしょうか? 健康経営の先進企業・健保・団体の姿からそのヒントを探ります。今回は、自社の健康経営への取り組みだけではなく、健康経営を支援する企業として、健康経営会議実行委員会事務局長など多くの企業や自治体の健康経営にも携わってきた、株式会社ルネサンス 樋口 毅氏に、健康経営の実状と取組みの方法についてお話を伺いました。聞き手は、企業向け健康経営ソリューション「カロママ プラス」などの開発を手掛ける株式会社リンクアンドコミュニケーション 渡辺 敏成です。今、なぜ健康経営なのか、その注目される背景とは?株式会社ルネサンス 健康経営企画部部長 樋口 毅氏渡辺 今、なぜ健康経営が必要なのか、基本的なところから教えてください。樋口氏 「健康経営」という考え方は、2006年にNPO法人健康経営研究会により生み出されました。健康経営研究会が考える健康経営は、利益を創出するための経営管理と、生産性や創造性向上の源である従業員の心身の健康の両立を目指して、経営の視点から投資を行い、企業内事業として利益を創出することを目的としています。健康経営が注目されているのは少子高齢化の影響が大きいと思います。今後、少子化が進むと、今から百年後には日本の人口が半分になるという予測もあります。結果として少子化は労働人口の減少という課題につながります。今、大企業では10年、20年先の経営を考え積極的に若手従業員の採用活動に取り組んでいます。高齢化については、政府も「生涯現役社会の構築」と言っているように、定年後の再雇用の取り組みを通じて、企業の中で一層に増える高齢従業員の雇用のあり方についても企業の中で検討が進められています。つまり、これから始まる人手不足社会に向けて、より競争力の高い人財を雇用していくことが企業に求められるようになります。結果として今まで企業にとって人件費コストとして捉えられていたヒト(従業員)への投資のあり方が再考されるようになってきています。また、中小企業には、経営者自身の高齢化という課題があります。2025年には経営者の半数が70歳を超えると言われています。現在の日本人男性の健康寿命が71歳ということを考えると、2025年以降は、健康に問題がある経営者が増加する可能性があります。事業継承ができていない場合、たとえ経営が順調であっても、経営者の健康問題により会社を存続できないケースも増えていくことが考えられます。結果として、従業員はもちろん、経営者自身が健康を維持・増進していくこいとが一層に必要になってきます。さらに中小企業については、国が進める働き方改革の影響も大きく受けていると思います。2019年4月1日から働き方改革関連法が施行されたことにより、一人が働ける労働時間の上限がより明確になりました。結果として、今まで残業が当たり前、年次有給休暇の取得が十分に行えない企業では人手不足がより加速しています。新たに、人を雇用するためには会社の魅力をつくる必要があるので、中小企業は大企業よりも一層に、目の前の人手不足を解消するために健康経営に取り組む必要があります。渡辺 つまり、まずは企業の労働力確保という視点で健康経営が必要、ということですね。一方で生産性向上を目的とした働き方改革から考えても、労働力の質をあげるという意味で、心身の健康を向上させる健康経営が必要と思いますがいかがですか?樋口氏 はい、仕事のパフォーマンスを向上させるためには、まずは従業員のコンディションを改善する必要性があります。例えば、月曜日の朝から強い眠気を感じていたり、強いストレスを感じていたり、月経前症候群(PMS)と言われている状態だったり、花粉症だったりと、どこかに不調を感じている従業員は、いつもの力を100%出し切ることはできません。こうした状態をプレゼンティーズムと言います。管理職がリーダーシップを発揮するためには、自分の心と身体が調っていること何よりも大切です。つまり健康は働くための土台なのです。だからこそ、企業は、運動や、食生活、睡眠といった生活習慣改善への投資を行うことで、従業員の健康を向上させていくことが必要なのです。「健康経営」のトレンドはここ5年で急速に変化している株式会社リンクアンドコミュニケーション 代表取締役社長 渡辺 敏成渡辺 日本での健康経営へのとらえ方はどうなのでしょうか?樋口氏 導入当初、健康経営はアメリカのロバート・ローゼンが提唱する「ヘルシー・カンパニー」が基本の考えであるとおっしゃる方がいらっしゃいました。しかし、健康経営を登録商標として持つ、NPO法人健康経営研究会 理事長 岡田先生とは、ヘルシー・カンパニーと日本の健康経営は違うものだということをよく話しています。日本には、労働安全衛生法に定められた経営者の従業員に対する健康管理義務という考え方があります。法律では健康診断の実施や、健康診断の事後措置が義務付けられ、さらに積極的な健康づくりを努力義務として規定しています。また国民皆保険制度の中で、健康保険組合が被保険者(従業員)に対して、事業主とコラボヘルスとして保健事業を実施しています。どちらもアメリカにはない制度です。つまり日本には、国が主導し、企業が組織的に従業員の健康を守る文化がもともとあったのだと思います。渡辺 健康経営が叫ばれ始めた約5年前は健康経営の大きなトピックは医療費の適正化でした。特にフィジカルの改善による、コストダウンの観点が中心だったと認識しています。しかし、今の話では、働き方改革をトリガーとして、健康経営の取組みが必要となってくるという考え方になっているとすると、初期の頃とトレンドが変わってきているのでしょうか。樋口氏 そうですね。トレンドは変わってきていると思います。健康経営の初期の取り組みは、「メタボを改善しよう」、「タバコをやめよう」、「病気の重症化を防ごう」、「うつ病を予防しよう」など、身体と心への健康投資が取り組みの中心となっていました。しかし、それは結局、病気の重症化や、病気の予防を中心とする守りの健康経営でした。しかし、最近は単に病気にならないということではなく、どうしたら、もっと従業員が元気でイキイキと働くことができるのか?という、攻めの健康経営に取り組む企業が増えてきています。そもそも健康診断は、病気になった人や、診断に異常がない人はみつけられますが、いわゆるWHOが定義するような健康な人は見つけられません。ストレスチェックも同様に、ストレスを感じている人はみつけられますが、元気な人はみつけられません。最近では健康経営を評価する指標として、ワークエンゲージメントやモチベーション、幸福感などを取り上げる企業も出てきています。結果として、攻めの健康経営では、オフィスの快適性や、コミュニケーションの活性など、職場に、居心地の良さや、笑顔をつくるための新たな投資が増えていると感じています。これから始める企業・組織へ、「健康経営のすゝめ」渡辺 働き方改革は制度化されていることも含めて進んできていると思いますが、一方、これから健康経営を始めようとする企業は何から始めていけばいいのでしょうか。樋口氏 何から始めていいのかわからない場合には、まずは「健康経営度調査票」の申請に取り組むことからおすすめしています。「健康経営度調査」は、経済産業省が健康経営の取組状況を経年で分析することを目的としている調査です。この調査結果が、「健康経営銘柄」の選定や「健康経営優良法人」の認定にも使用されています。調査票はよく考えられて作成されていて、健康経営に取り組む上でのガイドとしての役割を担ってくれます。調査票は、「経営理念・方針の発信」、「組織体制の構築」、「制度・施策の実行」、「取り組みの評価」という構成になっています。「制度・施策の実行」では、さらに「現状把握」、「健康づくり計画をたてる」、「社員への働きかけ」というステップになっています。わたしは、健康経営はこの順番で進めていくことが大切だと考えています。まずは、経営者が「なぜ、わが社にとって、社員が健康である必要があるのか?」という健康経営に取り組む目的を、理念や方針として明らかにすること。つまり目指すべき、あるべき姿を示すことが何よりも重要です。渡辺 経営者にとって、社員の健康が必要なのは当たり前のように思えます。健康経営宣言の内容は企業ごとに差がでるものですか。樋口氏 「よく健康経営はパッケージ商品でしょ。」という方がいらっしゃいます。そうした企業の健康経営宣言を見てみると「わが社にとって、社員の健康は財産である。」ということが書かれています。ですが残念なことに「なぜ財産なのですか?」と質問すると、答えられない企業がほとんどです。しかし健康経営銘柄の選定を受けているような企業は、この「なぜ社員の健康が財産なのか?」という問いに明確に答えることができます。「社会を幸せにするために社員の幸せづくりから始める企業」、「新しい事業を創造するために社員の多様性を大切にする企業」、ルネサンスやリンクアンドコミュニケーションのように、「社員の健康から社会の健康を目指す企業」など、皆、健康経営を通じて、企業の経営理念を実現することを目指しています。健康経営を事業として戦略的に考える場合、健康経営宣言は自ずと差別化されていくように思います。渡辺 会社にとって従業員の健康が必要だということは、わかりました。しかし、考えてみると、健康は個人のことです。当社が健康アプリをいろいろな企業に提供している中で、「会社が個人の健康にどこまで関わるのか?」が会社によってそれぞれ異なるように感じますが、その観点ではいかがですか?樋口氏 関わり方は勿論、理念や方針によって変わります。例えば、健康診断の受診率は100%で再検査受診率が20%の企業があったとします。この時、2つの働きかけを行う企業が生まれています。一つは未受診者リストを作って、徹底的に受診勧奨を行い管理するパターン。もう一つは、社員の自律を目的に、再検査を受けることの意義を本人が理解できるよう、教育の機会を与えるパターンです。前者は製造業や建築業などに多く、主にリスクマネジメントの徹底を目的としています。後者は、情報・通信業などに多く、イノベーション人財を育成するために、従業員の自律を価値として考えている企業です。仮に、どちらも再検査受診率100%をアウトプットとして目指していても、2社によって得られる価値は大きく異なります。つまり、「企業として社員にどうあって欲しいのか?」ということにより個人の健康にどこまで関わるかが異なるのです。渡辺 だからこそ、これから健康経営を始める際には、会社として社員にどうしたいのか?どこまで個人の健康に関わるのか?のスタンスを考えることが必要ということですね。樋口氏 企業として「この会社で働くために社員にどうあってほしいか」ということを、先ほどの健康経営宣言と一緒に行動指針として従業員に示すことが大事なことだと思います。そのメッセージがそのまま健康への関わり方、そして、その企業が目指す健康経営の実現へと繋がっていきます。「なぜ、健康経営に取り組むのか?」、この「なぜ?」に企業として答えを出していくこと。そのことが最も大切で、そして尊い健康経営の第一歩だと思います。※健康経営は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。写真左:樋口 毅氏(ひぐち つよし)株式会社ルネサンス 健康経営企画部 部長/健康経営会議実行委員会 事務局長/NPO法人健康経営研究会 健康経営会議 事務局/全国THP推進協議会表彰選考委員会委員/スポーツ庁スポーツエールカンパニー認定委員会委員 等「働く人の健康」を人生のテーマとして現在に至るまで一貫して活動中。順天堂大学大学院 健康・スポーツ科学研究科修士課程修了。トッパングループ健康保険組合、凸版印刷株式会社等を経て現在に至る。写真右:渡辺 敏成(わたなべ としなり)株式会社リンクアンドコミュニケーション 代表取締役社長一橋大学商学部経営学科卒業後、味の素株式会社に入社。 家庭用冷凍食品のプロダクトマネジャー、マーケティング意思決定支援システム開発等、マーケティング関係に従事する。その後、株式会社ケアネットにて常務取締役として、医師向けコンテンツ事業を管掌。医師向けポータルサイトの立ち上げに携わる。 その後、リンクアンドコミュニケーションを創業、食と健康、医療の側面から、新しい健康サービスプラットフォーム構築を推進中。取材・テキスト / 那須美紗子 写真 / 落合直哉