超高齢社会を迎え、社会保障費の増大が社会の共通の問題となっている日本、国民をいかに健康づくりに誘引し、健康寿命をいかに伸ばすか、組織的かつ戦略的な健康づくりへの取り組みが重要なテーマとなっています。2019年11月初めて開催された厚生労働省の「国民の健康づくりに向けたPHRの推進に関する検討会(第1回)」において、さらなる健康寿命の延伸に向けた取組みを進めることが重要であると言及されました。PHR=Personal Health Recordとは、個人が健診結果等の健康関連情報を、電子記録として、本人や家族が正確に把握するための仕組み。患者が自らの医療・健康情報を収集し一元的に保存する仕組みにより、それを医療機関に提供するなどして活用し、医療の質の向上や業務の効率化も図ることができるというが、現時点では、取り組みの検討がスタートしたばかり。今後広がるであろうPHRだが、そうした中、政府の動きを待たず、神戸市では、先駆けて2019年4月1日から市民向けに個人の健康関連情報を管理できるPHRシステム「MY CONDITION KOBE」の提供を開始しました。今回は、「MY CONDITION KOBE」開発・導入の立役者である神戸市 三木 竜介氏に行政がPHRに取組む意義を伺います。神戸市民の健康増進PDCAを回す「MY CONDITION KOBE」神戸市 保健福祉局 健康部 健康政策課 健康創造担当課長・行政医師 三木 竜介氏渡辺 2019年11月に厚生労働省で「国民の健康づくりに向けたPHRの推進に関する検討会」が行われています。PHRについては、国においてもまだ検討段階という状況といえるでしょう。そのような中、神戸市の「MY CONDITION KOBE」の取り組みは非常に先進的ですね。行政がPHRに取り組む意義はどんなところにあるのでしょうか。三木氏 「MY CONDITION KOBE」は、神戸市がもつ健康診断結果などの「健康データ」に、リンクアンドコミュニケーションが提供する、スマートフォンを介して利用者が入力する歩数や食事などの「生活データ」を一括して管理するヘルスケアアプリ「カロママ プラス(旧:カラダかわるNavi)」を組み合わせたサービスです。データを基に利用者それぞれに合わせた「健康アドバイス」を提供することで、市民が楽しみながら健康づくりに取り組むことを促しています。これを使うことで、個人の健康状態が見える化され、適切なアドバイスが得られます。現状の自分に必要な具体的な取り組みがわかることで、行動が変わります。つまり、健康増進のPDCAにつながります。健康寿命の延伸は、国を挙げて取り組んでいることですが、健康で長生きしたいというのは誰もが願うことです。市民の健康につながる、それだけで十分に行政がやる意義があると私は考えます。MY CONDITION KOBE ホームページ厚生労働省の調査によると、個人の約半数は、健康のために何もしておらず、その主要な理由として、① 何をしたら良いか分からない、②忙しくて時間がない、③経済的なゆとりがないが挙げられている。また、経済格差は健康格差につながりやすいという実態があります。民間企業は、営利目的ですから、どうしても収入のある人に向けてのサービスばかりが充実していきます。所得の少ない人に向けてサービスを行うのは、行政だからできることですよね。健康状態の底上げができるのは行政だけではないでしょうか。渡辺 なるほど。一方で、受益がアプリ利用者のみとなってしまう点について、公平性を重視する行政として課題はないのでしょうか。三木氏 実は「MY CONDITION KOBE」の取り組みは、アプリを利用しない人も含めて地域全体に対しメリットがあると考えています。アプリを使うことで、利用者の健康リテラシーが向上します。健康リテラシーの高まりにより、例えば、はしかの予防接種を受ける人が増えればはしかの流行を抑えられますし、手洗いをする人が増えれば風邪やインフルエンザの蔓延を防ぐことにつながります。「MY CONDITION KOBE」は利用する人にとってはもちろん、利用しない人にとっても健康増進につながる取り組みであり、その点においても行政が取り組む意義があります。加えて、個人的には医師として、正しい健康情報をもとに健康づくりに取り組んでほしいという願いがあります。インターネットは便利な反面、誤った医療情報もあふれています。そういったものに振り回されてしまっている患者さんも多くみてきました。「MY CONDITION KOBE」を使って自分の健康状態に合った正しいアドバイスをもとに健康づくりを進めてもらいたいと考えています。利用体験の改善で地道に利用者を増やしていく渡辺 「MY CONDITION KOBE」の利用者が、順調に増えていますね。利用者増加のために、どのような取り組みをなさっているのでしょうか。三木氏 広告を出すことや、利用登録そのものに特典を付けることなどで、登録者は増やすことができますが、それでは継続的な利用にはつながらず、行動変容に至りません。継続的に利用してもらうことを考えると、アプリ自体の魅力を高めることが重要です。アプリを高く評価してもらい利用者を通じて口コミで徐々に広まっていくのが理想ですよね。私もいろいろなスマホアプリを使いますが、そういった利用経験も参考にアプリの改善を考えています。例えば、乗換案内のアプリでは、どの電車に乗り、どこで乗換えるかだけではなく、どの車両に乗ると乗換が便利かまで教えてくれる。このような、利用者が使っていてうれしくなるようにサービスを磨き上げていくことが、登録者を増やすこと、継続的に利用してもらうために必要ではないでしょうか。「MY CONDITION KOBE」はリリースして終わりではありません。定着化と利用者の声を吸い上げながら、より良いサービスに磨きをかけて行きます。具体的には、将来、利用者に必要な行政サービスを提案する機能を付けるなどして、市民生活に密着した手放せないアプリにしていきたいですね。庁内で連携して新しいことに取り組む渡辺 行政の中でPHRの活用はまだほとんど前例が見られません。一般に「前例主義」といわれる行政の中で、「MY CONDITION KOBE」のような新しい取り組みをどのように実現したのでしょうか。三木氏 「MY CONDITION KOBE」については、保健福祉局の当時の局長が市民の健康増進の必要性から「やる!」と腹を決めていたというのが大きいですね。トップダウンだったからうまくいったというのも正直あると感じています。トップダウンでなければ、新産業課のような庁内で企業誘致や産業支援を行っているような課と連携するとうまくいくようです。私たちも、連携できるスタートアップ企業の紹介を受けるなど協力してもらっています。渡辺 私たちは、「MY CONDITION KOBE」のもとである「カロママ プラス(旧:カラダかわるNavi)」をほかの自治体にもご提案しているのですが、「政令指定都市の神戸市だからできたこと、うちのような小さな自治体では難しい」と言う声をよく聞きます。その点についてはいかがでしょうか。株式会社リンクアンドコミュニケーション 代表取締役社長 渡辺 敏成三木氏小さな自治体であっても、やる意義のある事業だと思いますよ。仮に人口が少なく十分なデータが取れないということであれば、近隣自治体と一緒に取り組むのはどうでしょうか。また、すでに開発が終わっている「MY CONDITION KOBE」をもとにして、自治体ごとにカスタマイズすれば、開発費もさほどかからないはずです。小さいからとあきらめてしまうのはもったいないですね。また、行政で新しいことを始めるときのハードルの一つに、業務量の多さによる現場の疲弊があるのではないでしょうか。業務過多の状態で「新しいことをしましょう」と提案しても、受け入れられません。行政の現場ではまだIT化が十分に進んでいないこともありますので、まずはITを使って業務の効率化を図ること。それによって生まれた時間で、新しいことをやる。この順番を守れば、新しいことも進められるのではないでしょうか。※健康経営は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。写真左:渡辺 敏成(わたなべ としなり)株式会社リンクアンドコミュニケーション 代表取締役社長一橋大学商学部経営学科卒業後、味の素株式会社に入社。 家庭用冷凍食品のプロダクトマネジャー、マーケティング意思決定支援システム開発等、マーケティング関係に従事する。その後、株式会社ケアネットにて常務取締役として、医師向けコンテンツ事業を管掌。医師向けポータルサイトの立ち上げに携わる。 その後、リンクアンドコミュニケーションを創業、食と健康、医療の側面から、新しい健康サービスプラットフォーム構築を推進中。写真右:三木 竜介氏(みき りゅうすけ)神戸市 保健福祉局 健康部 健康政策課 健康創造担当課長・行政医師 1990年から中高とアメリカで過ごす。2002年九州大学医学部卒業。以後16年間地域の中核病院にて臨床に従事。専門分野は循環器、救急、集中治療。2016年から京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻に進学。公衆衛生や疫学を主専攻、臨床研究法と政策のための科学を副専攻とし、2018年社会健康医学系修士(専門職)を取得。同年4月より現職。(文・赤田彩乃 写真・落合直哉)